西内燦夫氏
[プロフィール]
四万十太郎
■四万十川新聞社主
四万十川新聞社主であり編集長でもある四万十太郎氏の本名は「西内燦夫」。西建設技術コンサルタント(有)代表、白藤園理事などの肩書きを持ちますが、西内燦夫氏といっても、地元でも余り知る人はいません。しかし、ペンネームの四万十太郎といえば、地元四万十川のみならず、日本的、世界的な超有名人で通っています。
歌人としても知る人ぞ知る(知らない人は、全く知りませんが・・・)一流歌人で、新聞に投稿すれば、必ず入賞すると、太郎さんは豪語しています。(西内さんは、そんなこと・・・、と言葉を濁していますが、真実は如何なものでしょうか?)
橋本知事は「趣味は?」と聞かれて「女房」と言ってはばかりません。西内さんの趣味は「四万十川」でしょうが、四万十太郎氏の趣味は「恋女房の花子」。
吉永小百合より美しいという、その花子さんとのかけあいが、「太郎&花子の会話」として、毎日配信される四万十川新聞に満載されています。本文の記事より面白い!これだけを読んで満足!、という読者も多いとのこと。
氏の歌の作風は「西内燦夫」と「四万十太郎」、即ち「真面目」と「面白」が交錯しています。従って「佳作」と「駄作」が糾える縄のように並立しているのが特徴です。
氏が「短歌」を最初に詠んだのは、友人の奥さんの逝去の際の平成5年。その時に、友人の気持ちになって詠った歌が、氏の『代表歌』です。
人逝けば星になるなら満天の星を皆くれ妻に会いたし
止めとけばいいのに新聞に投稿し、運悪く?(西内)、当然の事ながら!(太郎)・・・入選して新聞に記載されました!
この短歌を見た、知人、友人、家族の中で大騒ぎになり、花子さんが身罷ったのか!葬式は何時だ!家事が何も出来ない「やもめ太郎さん」の行く末は如何に・・・!等々、問い合わせが殺到し、「死んでない愛妻花子」に、こっぴどく叱られた…という罪を持つ四万十太郎氏の、いわく付きの代表歌。
そんな四万十太郎氏の代表歌を「改心」した、西内燦夫氏の四万十川の代表歌が、『川に老い孫の好みの・・・』の一首。高知県を代表する女流歌人田所妙子氏に絶賛された四万十川の秀歌です。
ちなみに、四万十太郎氏、及び四万十花子氏の「四万十川百人一首」は別立てで存在します。また、橋本知事の短歌の指南役という噂もあり、あれやこれやで、四万十川新聞社に端を発した「四万十川百人一首」の企画ですが、社主の西内燦夫氏だけが、四万十川一人数首(?)になってしまったのは、ご愛嬌。(山藤花)
◆四万十川新聞社主の【
四万十川百人一首】
◆四万十花子氏の【
四万十川百人一首】
◆四万十太郎氏の【
四万十川百人一首】
◆橋本大二郎氏の【
四万十川百人一首】(現在、期待して待機中。)
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[佳作鑑賞] 読売新聞「土佐文芸」より
四万十の川面拡げるかの如く春一番が吹き渡り来る
■歌評
大河である四万十川の川面を吹く春の嵐をよくとらえている。広い川面をさらに拡げるかのようだという視点が一首を成した。吹き渡り来るの表現も的確である。(今井嘉彦選)
◆今井嘉彦氏の【
四万十川百人一首】
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[ひとくちメモ]
■四万十川新聞
四万十太郎さんが主宰(編集長)する四万十川新聞は、メールによる日刊の本家版(元祖メールマガジン?)のほか、週刊、月刊、季刊など、様々な形で配達・配信されている。HP版(バックナンバー、古新聞とも言う)、ブログ版、エクセル版、写真集、週刊誌、壁新聞、などなど。
その中で、ユニークなのが「四万十川新聞【日曜版】」というブログ版・週刊誌。文句なしの「サンディ四万十」、文化の香り高い「四万十の文芸・春秋」、衝撃の写真が満載の「ブログフォーカス:四万十川通信」が合体したような構成で、多くの読者に、『毎日が、日曜日なら!』、と言わしめている?(ホントかな・・・山藤花)
その、噂の四万十川新聞【日曜版】を、お届けします。
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四万十川新聞【日曜版】
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[「四万十川新聞」より]
■四万十川は天の川
四万十川の河口から約25km遡ったところに久保川という場所がある。196kmの四万十川だが10kmも遡れば雰囲気は中流域になることよりこの久保川は中村市にありながら落ち着いた山々に囲まれた静かなたたずまいの集落である。
この久保川には小学生が7人いる。
この久保川には小学校がない。
四万十川の対岸には彼等の通うべき学校がある。
遠く離れて沈下橋が存在する。
歩いて通うと片道3kmの国道を行かなければならない。
学校は川の向こうに見えている。
かくしてその昔に渡し舟による集団通学がはじまった。
当然と言えば当然だが、、、現在もそれが続いている。
危険と時間の制約の多いこの通学方法は現代の都会では権利意識が邪魔をして許されないことだろうが此処では当然の事として続いている。
ここは四万十川である。
「霧深し子等の姿をたしかめて朝の渡しのともづなをとく」
中村の小谷貞広さんが詠んで皇居の歌会始めにえらばれたのもこの「学童の渡し」のことである。
船頭さんはおかあさんが当番制だという。こんな時代遅れの風景にも違和感がないのが四万十川である。
◆小谷貞広氏の
四万十川百人一首(学童の渡し)
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この文章はまだ小学校も渡し舟もあった平成10年の四万十川新聞です。
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■通学路
四万十川での「通学時の危険」は親が責任と共に共有した。これは田舎の宿命ではあるが地域の責任としてそれは円滑に推移して来た…たとえ…「時代遅れ」と言われようとも…だ!
一方…便利であるべき都会の通学路とは…必ずしも田舎に勝っているとは思えないのは何でだろう?